JOURNAL

約12年働いた浜田が語る、古橋織布はココが凄い。

東京生まれ、東京育ちのSTAFF浜田。
古橋織布で働きたいと思い、約12年前に就職。

そんな、テキスタイルラバー 浜田が、
結婚を機に退職することに…
さみしいですが、最後に古橋織布の魅力を
語ってもらいました。

小学生の時、縫製の内職をしていた祖母から、
工業用ミシンでスパルタ教育を受けていました(笑)

小3で自分の帽子を縫ったこともあります。

中学では、美術部に入るも、絵は描けず、、、
服や立体物を作っていました。

高校は、ファッション部に入り、
自分たちで洋服を縫い
ファッションショーを開催していました。

学生時代から、ずっとファッションに興味があり、
生地屋さんをウロウロするのが趣味でした。

高校卒業後は、東京にある文化服装学院の
ファッションテキスタイル科に入学。
専門学校では、基本的な
「染め」「織り」「プリント」を学んだり、
“織りの生地作り”に没頭することもありました。

休日に、自分でアポを取り”全国の機屋さん巡り”や、
展示会でいろんな産地の人の話を聞いたりしていました。

海外への憧れもあり、
トルコ、フランス、イタリアへ
『テキスタイルの旅』へも出かけました。

そこで、ファッションの本場の
「フランス」や「イタリア」の生地を見て、
気付いてしまいました。

「あれ?日本の生地の方が凄いかも」と。

そこから、日本で作られた生地にどっぷりとハマり、
今も魅了され続けています。

就活が始まり、講師の方に、
「日本の産地で働きたいです」
と相談しました。

日本の生地を調べていくうちに、
生地を作る職人さんが
“何よりもかっこいい”と思ったからです。

自分が職人になりたいワケでもなく、
“職人さんと働ける環境”を求めていました。

そして、講師を介して、古橋織布と出会いました。

入社当時、古橋織布には営業がおらず、
社長(現会長)が現場をやりつつ、客先の対応をしていました。

当時21歳の私から、いちばん年齢の近い方は50代。。。

今は、20~30代の社員が中心となったのが、
一番の変化だと思います。

若い社員が増えたことで、製品開発やSNS発信など、
新しい動きがかなり増えました。

割と切り替えが早く、次の日には引きずらないので、
あまり大変なことはないのですが、、、

遠州産地の繊維業は、分業制で
毎日が予想外の連続でした。

糸が切れて整経が進まない、
指示した色に染まらない、
織機のトラブルで生地に欠点が出たりなど、、
日常茶飯事。

問題が起きた時に、どう解決していくかが
やりがいを感じる部分かなと思います。

入社前、展示会に出展すると聞き、
そこで初めて古橋織布の生地を見ました。

その時、
「生地屋で見たことないモノばかり」
と、衝撃が走りました。

綿100%の生地ひとつでも
密度、ハリ感、風合いと心地よさに驚き、
触ったことのない感触は
今も鮮明に覚えています。

それもそのはず。
日本で織られている生地は、
ほとんど小売り屋さんには並びません。

アパレル会社で洋服になり
初めて世に出る生地ばかりです。

今まで触ったことのない生地が、
ずら~っと並び、
まるで“新しいテーマパーク”に
行ったような感覚になりました。

学生の時に、フランスやイタリアの生地よりも
『日本の生地の方がレベルが高い』と感じました。

12年経った今も、全く変わっていません。

何度かイタリア出張に行き、
ヨーロッパ各地で織られた新しい生地を見ても、
古橋織布より優れた
“ 綿 の 生 地 ”
に出会うことはありませんでした。

古橋織布は、ほぼ毎シーズン、
ヨーロッパのブランドから注文を頂いています。
コストや納期がかかっても、
古橋織布の生地に“こだわる”のは、
代わりが効かないからでしょう。

もしかしたら、日本国内よりも
海外の方が高く評価されているかもしれません。

ヨーロッパの生地は、見た目に派手なものが多く、
見せ方を意識している生地が多い印象でした。

一方、古橋の生地は、見た目に派手さはなくとも、
着る人の“ 着心地の良さ ”を追求しています。

服になり、着た瞬間に
「ん?何かが違う」
と違いが分かるはず。

“ ふ っ く ら ” で、“ 上 質 な 風 合 い ” は
『古橋にしかできない』と自負しています。

普段、アパレルのお客様と取引しているため、
一般の方に『古橋織布の生地』だと
認識してもらえることは、ごくわずかです。

しかし最近、若手の社員が増え、
作られる工程や背景を知って、購入してほしい!
という想いから、
自ら発信し、直接伝えられるようになりました。

一般の方に、買っていただける機会が増え、
機屋(はたや)である古橋織布は
『続けてきてよかった』と思う限りです。

私は退職しても、
ずっっと変わらず“ 古橋ファン ”です。

これからも、まだ世の中にない生地が
たくさん生まれることを楽しみにしています。