JOURNAL

【 ORIYATO - vol.4 パタンナー 綾織さん × 縫製 アンジーズさん編 】 - ep.3 若手育成に励む『アンジーズさん』

布を織る「織屋(おりや)」が
いろいろな道のプロフェッショナルと
一緒に考え、つくり上げる
新しいプロジェクト。

【 ORIYATO 】= 織屋と。

今回が、3投稿目。

前回もお伝えしたとおり、
武蔵小山にある縫製工場
「INDICE/アンジーズ」さんに
縫っていただくことになりました!

パタンナー 綾織さんからの
ご紹介だったわけですが、
アンジーズさんにお願いしたい!
と思った『決め手』があります。

みなさんご存知のとおり
岡山県は“ デニムの産地 ” です。

創業66年、岡山県にある老舗の生地屋
『岡本テキスタイル』さんが、
2017年 東京都の桜新町に
「INDICE/アンジーズ」という
縫製工場をつくられました。

今は工場を、桜新町から武蔵小山に
移され、デニムの縫製工場として
国内外のコレクションから
個人オーダーまで注文を受け、
活動の領域を広げています。

ですが、そもそも
『なんで、東京で縫製工場を始めようと思ったの?』
と、疑問に思いますよね。

わざわざ、家賃の高い東京で、
工場を始めた理由。

アンジーズさんのホームページに書かれていた
いきさつを拝見し、納得。

ここで縫ってもらいたい!
と思った決め手です。

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Q:
 1本のデニムパンツを縫い上げるのに、
 岡山県の職人は一体どれくらいの
 ミシンを使用するのと思いますか?

A:
 ロール状態の生地から
 洋服を形にするために、
 10を超えるミシンと設備を
 使い分けているそうです。

しかし、これまで東京には
デニムを一から十まで縫える
設備を揃えた工場がありませんでした。

理由はシンプルで、お金の問題です。
洋服作りをめぐる現場は厳しい
価格競争にさらされてきました。

一度下り始めた価格が下げ止まる
ことはありません。

服作りの現場は日本から中国に移り、
今ではベトナムやカンボジアといった
新たな国へも移りつつあります。

洋服の作り手は、日に日に洋服を
着る人から遠ざかるばかりです。

洋服がどんな風に作られているかを、
少しでも多くの人に知ってほしい。

消え細る日本の洋服作りを、
次世代に残していきたいと、
私たちはいつも感じていました。

そこで私たちは「東京」に
工場を作ることを決めました。

新たなパーツの工程を覚えるのには時間を
要するため、ポケット担当はポケットのみ、
ベルトループ担当はベルトループのみ。

工場で働く縫い手は自分の担当分野だけを
何年も何年も縫い続けます。

10年の経験があっても数パーツの技術しか
持たない作り手も珍しくなく、縫い手は
交換可能なオペレーターに過ぎません。

そんなアパレル業界にあって、唯一、
作り手が一から十まで一人で洋服を
縫い上げる「まる縫い」をできる技術を
持つのがサンプル制作工場の縫い手。

守秘義務からどのブランドを
手掛けたかお伝えはできませんが、
洋服つくりを手掛けて40年の
戸田美代子さんを指導に迎え、
日本のファッションシーンを
支えてきた物つくりの技術を
次世代に受け継ぎます。

≪ INDICE/アンジーズ さんのHPより引用≫
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服はいくつもの工程を経て、
さまざまなプロが携わり、
やっと出来上がります。

ふだんは、
"裏方" として
服作りを支えている3社。

川上の織り屋「古橋織布」
川中のパタンナー「綾織」さん
川中の縫製工場「INDICE/アンジーズ」さん

どの分野にも
悩みや課題がありますが、

技術継承の難しさは
共通の問題。

ただ、今は
自分たちで発信できる時代です。

この『ORIYATOプロジェクト』を通して
私たちのやり方で、
他分野の業界についても
伝えていけたらなと思います。

次回は、アンジーズさんとの
打ち合わせの様子を紹介します